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F-4C 123d FIS / Oregon ANG
(F-4C 1981~1989)
1980年3月友人のゴメスさんがレターで見学申請をして許可が出ていたのが、ここオレゴン州のポートランド飛行場。当時ライトグレー色のF-101Bブドゥーが配備されていて、迎撃任務に就いていた。結局、我々はネリス基地でレッドフラッグ演習に遭遇して、そこでの撮影を選択したため、訪問をキャンセルしたのであるが、それ以来F-101とは、縁がなかったのであろう私は一度も生きたF-101を見ること無く終わった。このページではこのブドゥー戦闘機の後継で配備されたF-4Cの時代について、渡辺氏のコレクションからご紹介していきたい。この123d FISと言う迎撃飛行隊は、実に優秀な飛行隊で、1972年から配備されたF-101B時代には、ウィリアンテルの競技で迎撃部門で優勝を飾り、2名のクルーはトップガンの称号を獲得している。1981年からF-4Cへの転換を行い1989年まで9年間C型を使っていた。現在は、F-15C/Dを使っている飛行隊で変わらずこのポートランド州空軍基地を本拠地として国土防衛の任に就いている。ポートランド基地は、1926年に空港として建設されたが、その後日本との緊張が高まり軍の施設に摂取され、陸軍の偵察部隊が置かれるようになったのが始まりであるが、123d FISも1941年にオレゴン州軍の偵察飛行隊としてスタートを切っている。(2023年7月 記)
1981年2月ポートランドで撮影された123d FISのF-4C/64-0825。尾翼のANGマークの位置、シリアルナンバーの大きさが1983年の塗装と異なる。
Wings
↑ 1986年6月に撮影されたF-4C 64-0776。奥に移っているのは、ショー空軍基地363th TFWのF-16C。
↑ 上の2機同様イリノイ州空軍から移管されて来たF-4C/63-7490で、2年程で同じオレゴン州空軍の144th TFTSへ移動したようである。
↑ 1986年10月に撮影されたF-4C 64-0777。この機体も1967年5月20日北ベトナム上空でMig-21を撃墜したミグキラー機である。この5月20日は、6機のミグ戦闘機がF-4Cに撃墜されており、米空軍にとって最良の日の一つ。本機はロバート・タイタス中佐がスパローミサイルで戦果を挙げている。
↑1986年12月に撮影されたF-4C 63-7517 。1986年には所属機全機がF-16風のグレーの空戦迷彩に変わっている。1983年までテキサス州空軍で使われていた機体である。
↑ 123rd FISで恐らく一番注目を集めた機体が、このF-4C-23-MC 64-0776であろう。1984年3月頃のマーキングで、MIg撃墜3機の★以外にも、機首下面に”Miss Piggy”の文字とインテークには子豚の女子のキャラクターなどが描かれていた。撃墜記録は、本機が第366戦術戦闘航空団第389戦術戦闘機中隊所属の時代で、1967年4月23日にAIM-7EスパローミサイルでMig-21を1機、1967年5月22日にAIM-9Bサイドワインダーミサイルと20mmバルカン砲でMig-21を2機撃墜している。この機体はベトナム戦時の迷彩色に塗り替えられ、現在でもシアトルの航空博物館に展示されている。
↑ 1981年2月にポートランド基地で撮影されたF-4C/63-7530。イリノイ州空軍から移管された直後らしく、尾翼のチップは白のままでオレゴンの文字が入っている。オレゴン州の州空軍にはこうしたベトナム帰りのF-4Cが延70機以上が配備され 2つの基地で任務に就いていた。
↑ 1981年5月お隣ワシントン州マッコード空軍基地で撮影された同隊のF-4C/64-0825。
↑ 1983年5月に撮影された123d FIS F-4C/64-0811。後ろにはノースダコタ州空軍119th FIG/178th FIS”Happy Hooligans”のF-4Dが並ぶ。前のページでご紹介したルイジアナ州空軍から移管された機体である。
↑ 2枚とも同じF-4C-22-MC 64-0713であるが、冬と夏の異なる季節に撮影されたものと思われる。撮影日は不詳。機体はロールアウト後12th TFWに配備されたとあるので、激しいベトナム戦を戦って生き残った機体の一つである。
↑ 1983年4月にアリゾナ州ルーク空軍基地で撮影された123d FISのF-4C/61-0658。すっかりエアクラフトグレーにお色直しされ、F-101B時代を彷彿させる魅力的な姿に変わった。
↑ 123rd FIS所属のF-4C-21-MC 63-7699で、機首下面には”RED BARON”の文字、インテークベーンにミグ機撃墜の星が入っている。本機がベトナム戦争時代の記録で、1967年5月14日にハノイの北東25マイル付近の北ベトナム上空でスパローミサイルを使ってMig-17を撃墜したものである。この時の本機のコールサインは”Mink 04”、操縦は、ロバート・ブレーク大尉尚 撃墜時の所属航空団/飛行隊は366th TFW/480th TFSであった。
↑ 1983年1月寒い中訓練に向かう123d FISのF-4C/63-7699。この機体は、ベトナム戦争時366th TFWの所属機として、北ベトナムでMig-17を撃墜している。イリノイ州空軍170th TFSを経由してオレゴン州空軍に移動してきたもので、1986年までオレゴンで使われたとある。本機はその後エアクラフトグレーに塗り替えられ、上のイラストのマーキングになった。
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↑ 1983年5月に撮影された123d FIS F-4C/64-0679。この機体標準塗装以外何も書かれていないが、ローリングサンダー作戦中の1965年6月10日に北ベトナム上空で、F-105の動きに見せかけてミグ戦闘機を呼び寄せ、AIM-9BでMig-17を1機撃墜している。後に三沢基地に地上訓練用として運ばれ話題にもなったファントム。